2026年10月7日、東京理科大学名誉教授の硤合憲三(そあい・けんそう)さんがノーベル化学賞の受賞者として発表されました。
受賞決定の翌日、母校の同級生たちが高校時代の思い出を語り、注目を集めたのが「硤合時間(そあい時間)」という言葉です。
いったい何をしていた時間なのでしょうか。特別な勉強法だったのでしょうか。
調べてみると、数学の授業で先生と長い質疑応答を繰り返していたという、驚きのエピソードがありました。
さらに、高校1年生から大学レベルの数学を勉強していたという証言や、学級委員長、数学同好会、バスケットボール部での意外な素顔も明らかになっています。
この記事では、2026年10月8日までの報道をもとに、硤合さんの高校時代を詳しく紹介します。
硤合憲三の高校時代にあった「そあい時間」とは?
数学の授業で5〜6分続いた質疑応答
「そあい時間」とは、高校の数学の授業中、硤合さんと先生との間で長い質疑応答が続いていた時間のことです。
2026年10月8日のRCC中国放送の取材で、高校の同級生・岡田勝己さんが当時の様子を語っています。
岡田さんによると、硤合さんが数学の授業で質問すると、その内容はほかの生徒には理解できないほど難しく、先生との質疑応答が5〜6分ほど続いていたそうです。
その時間を同級生たちは「硤合時間」と呼んでいたといいます。
つまり、学校が設けた特別な時間でも、硤合さん独自の勉強法でもありません。
数学の授業中に生まれた、硤合さんと先生とのやり取りを指す呼び名だったのです。
わたくしだったら、先生に質問するだけでも緊張してしまいそうです。周囲の生徒が内容を理解できないほどの質問をしていたというのですから、驚きますね。
なお、具体的にどのような数学の問題を質問していたのかは、報道では明らかになっていません。
誰が「そあい時間」と呼んでいた?
この呼び名を最初に考えた人物は、確認できていません。
RCCの報道で分かるのは、岡田さんをはじめとする同級生たちが「硤合時間」と呼んでいたということです。
また、報道では漢字で「硤合時間」と表記されていますが、読み方は「そあい時間」です。
高校を卒業して長い年月がたっても、同級生の記憶に残っていたエピソードだったんですね。
硤合憲三は高校時代から数学が得意だった!
高校1年生から大学レベルの数学を勉強
硤合さんの数学への関心は、高校時代から際立っていたようです。
2026年10月8日の読売新聞の報道では、高校の同級生・江口修さんが、高校1年生のころから大学レベルの数学を勉強していたと振り返っています。
また、当時の数学の先生も、硤合さんの将来性を高く評価していたという証言が紹介されています。
ただし、具体的にどの分野の数学を学んでいたのか、どの教科書を使っていたのかまでは確認できませんでした。
数学同好会にも所属していた
数学が好きだったことを裏付ける、もう一つのエピソードがあります。
2026年10月8日のテレビ朝日の報道で、高校の同級生・大崎裕章さんが当時の数学同好会の写真について説明しています。
硤合さんは数学同好会に所属しながら、放課後にはバスケットボールにも取り組んでいたそうです。
大崎さんは、勉強とスポーツのどちらにも一生懸命だったと振り返っています。
数学の授業で先生に質問を重ね、放課後も数学に親しんでいた高校時代。その一方でスポーツにも熱中していたというのが意外ですね。
同級生は数学研究者になると思っていた
テレビ新広島の2026年10月8日の報道では、岡田勝己さんが硤合さんの進路についても語っています。
岡田さんによると、硤合さんは数学が得意だったため、同級生たちは数学の研究に進むものだと思っていたそうです。
そのため、化学の分野に進んだことは意外だったといいます。
ノーベル化学賞を受賞した人物と聞くと、高校時代から化学一筋だった姿を想像しがちです。
しかし、同級生の記憶に強く残っていたのは、数学に熱心に取り組む硤合さんの姿だったのです。
硤合憲三は高校時代どんな生徒だった?同級生の証言
目立たない性格なのに学級委員長に
数学の得意な生徒だった硤合さんですが、性格は意外にも控えめだったようです。
2026年10月8日のTBS系報道で、岡田勝己さんは、硤合さんについて目立たず、おとなしいタイプだったと振り返っています。
一方で、学級委員長も務めていました。
しかも、自分から立候補したのではなく、周囲から推されて学級委員長になったそうです。
積極的に前へ出るタイプではなくても、同級生から役割を任される存在だったことがうかがえます。
剣道でも手を抜かず全力だった
硤合さんの真面目さが伝わるのが、体育の剣道のエピソードです。
RCC中国放送の取材で岡田さんは、剣道の授業で硤合さんと対戦したときのことを振り返っています。
硤合さんは一生懸命に打ち込んできたため、避けるのが大変だったそうです。
岡田さんは、脇の下にあざができたこともあったと語っています。
勉強だけではなく、体育にも手を抜かず取り組んでいたことが伝わってきますね。
同級生が長い年月を経ても覚えているほど、印象的な姿だったのでしょう。
硤合憲三はバスケ部!松田元さんとの意外な関係
広島カープの松田元さんとは小学校から同級生
高校時代の硤合さんを知る人物の中には、意外な著名人もいます。
広島東洋カープの松田元オーナーです。
2026年10月8日のRCC中国放送の報道によると、松田さんと硤合さんは、広島大学附属小学校・中学校・高等学校の同級生でした。
松田さんは、硤合さんについて、寡黙で、一つのことにコツコツ取り組むタイプだったと振り返っています。
また、高校時代の話し方が現在も変わっていないことを懐かしく感じたそうです。
ノーベル賞受賞者とプロ野球球団のオーナーが、同じ学校で長い時間を過ごしていたとは驚きですね。
バスケットボールのクラスマッチではエース!
さらに、松田さんは高校時代のバスケットボールの思い出も明かしています。
松田さんによると、学校のクラスマッチで硤合さんのチームと対戦したことがあり、硤合さんは相手チームのエースだったそうです。
決勝戦だったと記憶しており、その試合では松田さんのチームが負けたと振り返っています。
硤合さんはバスケットボール部に所属し、数学同好会でも活動していました。
数学の授業で難しい質問をする一方、バスケットボールではエースとして活躍していたというのですから、まさに文武両道ですね。
硤合憲三の出身高校は広島大学附属高校!
小学校・中学校・高校の経歴
硤合さんの出身高校は、広島大学附属高等学校です。
2026年10月8日、広島大学附属高等学校は、硤合さんが第59回卒業生であることを公式に発表しました。
また、広島大学附属小学校も、硤合さんが第58回卒業生であると発表しています。
学校歴を整理すると、次のようになります。
・小学校:広島大学附属小学校(第58回卒業生)
・中学校:広島大学附属中学校(報道で卒業生と紹介)
・高校:広島大学附属高等学校(第59回卒業生)
中学校については、RCC中国放送が松田元さんとの関係を紹介する中で、広島大学附属小・中・高校の同級生だったと報じています。
ただし、今回確認した学校の公式発表では、中学校の卒業回次までは示されていません。
高校時代の数学好きは化学研究につながった?
硤合さんは、その後、化学の研究者として世界的に評価されることになりました。
高校時代から数学が得意だったことが、後の研究にどのような影響を与えたのかは気になりますよね。
しかし、数学への関心がノーベル賞につながったと直接説明する本人の発言は、今回確認した範囲では見つかりませんでした。
高校時代の化学の成績についても、確かな情報は確認できていません。
そのため、数学の才能が受賞につながったと断定することはできません。
ただ、同級生が数学研究者になると思っていた人物が、化学の分野で大きな成果を上げたという歩みには、興味深いものがあります。
「硤合」という珍しい苗字の読み方や全国の人数、由来については、別記事「硤合憲三の苗字は全国約30人!読み方や由来は?出身地との関係も調査!」で詳しく紹介しています。

まとめ|「そあい時間」から見える高校時代の素顔
「そあい時間」とは、高校の数学の授業中、硤合さんと先生との質疑応答が5〜6分ほど続く時間を、同級生たちが呼んでいた名前でした。
高校時代の硤合さんについては、次のようなエピソードが明らかになっています。
・数学の授業中に「硤合時間」があった
・高校1年生から大学レベルの数学を勉強していたとの証言がある
・数学同好会とバスケットボール部で活動していた
・周囲から推されて学級委員長になった
・剣道にも全力で取り組んでいた
・バスケのクラスマッチではエースだった
こうして見ると、数学に熱中する一方で、スポーツにも真剣に取り組んでいた高校時代が浮かび上がります。
わたくしが特に印象に残ったのは、目立たない性格だったという硤合さんが、学級委員長に推されていたという話です。
長い年月を経ても同級生たちが具体的な思い出を語っていることからも、硤合さんが周囲の人々の記憶に残る存在だったことが伝わってきます。


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