2026年10月4日放送の『情熱大陸』に、北海道斜里町の鮭漁師・伊藤正吉さんと、伊藤さんが率いる第二十一北洋丸が登場します。
伊藤さんは55歳です。18歳で漁師になってから30年以上、オホーツクの海と向き合ってきました。
番組をきっかけに、「奥さんはどんな人?」「子供はいるの?」と家族が気になった方もいるのではないでしょうか。
調べてみると、伊藤さんの歩みは平坦ではありませんでした。バレーボールで全国大会に出場し、教員を目指したものの夢を断念。漁師になってからは大病で倒れ、その後は組織のあり方を大きく変えています。
この記事では、妻や子供などの家族情報、学歴、鮭漁師としての経歴、病気を乗り越えた経験を紹介します。
10月4日(日)よる11時15分放送
— 情熱大陸 (@jounetsu) September 27, 2026
MBS/TBS系 #情熱大陸
/#鮭漁師 #伊藤正吉 /第二十一北洋丸
\
「日本の鮭は俺たちが守る」
知床の海に生きる12人の男たち pic.twitter.com/Eyac34v5yz
伊藤正吉(鮭漁師)の妻は誰?
まず、妻についてです。
今回確認した範囲では、伊藤さんが現在結婚しているかどうかや、妻の名前、年齢、職業、顔写真などを裏付ける本人・公式の情報は見つかりませんでした。
後で紹介するとおり、伊藤さんに子供がいることは本人の発言で確認できます。ただ、それだけで現在の婚姻状況まで断定することはできません。
伊藤さんは、家族について積極的に公表している方ではないようです。ご家族は一般の方でもあるため、この記事でも確認できない情報を推測で補うことはしません。
結論として、伊藤正吉さんは現在の婚姻状況を公表しておらず、妻がいるかどうかや、結婚相手の詳しい情報は確認できませんでした。
伊藤正吉の子供は息子2人と娘
息子2人がいることを本人が明かしている
子供については、本人のインタビューで具体的な話が出ています。
伊藤さんは「うちには息子が2人いる」と語っています。長男はすでに漁協の組合員になっていて、次男も組合員への申し込みをしたそうです。
息子2人の名前や年齢は公表されていないため、ここでは触れません。
北洋丸の公式サイトには同じ「伊藤」姓の乗組員も掲載されていますが、名字が同じというだけで伊藤さんの息子と決めつけることはできません。
娘の存在も取材記事で確認できる
2026年9月9日に公開された北海道の取材記事「くらしごと」には、「伊藤さんのご息女の友人」という記述があります。
この友人は北洋丸の広報を担当し、ホームページやSNSでの発信を支えているそうです。この記述から、伊藤さんに娘がいることも確認できます。
複数の資料を合わせると、伊藤さんには少なくとも息子2人と娘がいることになります。ただ、子供が全部で何人なのかまでは明言されていないため、「3人」とは断定できません。
子供たちを全員大学へ進学させた
家族の話の中で、強く心に残るエピソードがあります。
伊藤さん自身は、経済的な事情で大学へ進めませんでした。だからこそ「自分の家族には同じ思いをさせたくない」と考え、子供たちを全員大学へ行かせたと語っています。
自分が手放さざるを得なかった道を、子供たちには選べるようにしておく。厳しい海の仕事を続けながら、その思いを形にしてきたのだと思うと、漁師としての顔とはまた違う、父親としての伊藤さんの姿が見えてきます。
伊藤正吉の中学・高校・大学など学歴
斜里中学校でバレー全国大会へ
伊藤さんは1971年に北海道釧路市で生まれ、5歳ごろに斜里町へ移りました。出身中学校は斜里中学校です。
中学時代はバレーボール部に所属し、ポジションはセッター。北海道代表として全国大会に出場しています。
北海道国体の強化選手にも選ばれ、月に1~2回ほど札幌で合宿を重ねたそうです。
東海大学第四高校へ推薦入学
バレーボールの実力を評価され、札幌の東海大学第四高校へ推薦で入学しました。現在の東海大学付属札幌高等学校です。
当時の夢は、大学を卒業して教員になり、バレーボールを教えることでした。
現在の姿からは想像しにくいかもしれませんが、もともとは海ではなく、コートの上で将来を描いていたんですね。
大学には進学せず18歳で漁師へ
伊藤さんは大学進学を希望していましたが、学費の工面が難しかったといいます。
そんな時、父親から「漁師をやらないか」と勧められました。
高校卒業後は大学へ進まず、18歳でホタテ漁を始めています。大学を中退したのではなく、大学には進学していません。
伊藤正吉が鮭漁師になるまでの経歴
ホタテ漁と刺網漁を経験
伊藤さんの漁師人生は、ホタテ漁からスタートしました。
しかし、当時の斜里ではホタテが思うように育たず、価格も安かったことから、ホタテ漁は打ち切りになったといいます。
その後は、ホッケ、タラ、ソイ、キンキなどを対象とする刺網漁へ移り、約10年間経験を積みました。
30歳ごろサケ定置網漁の会社へ
転機は30歳ごろに訪れます。
刺網漁をしていた伊藤さんは、母方の親族が営んでいたサケ定置網漁の会社から誘いを受け、現在の北洋丸につながる会社へ移りました。
北洋丸の公式サイトでは、伊藤さんの入社は1999年と記載されています。
現在は有限会社北洋共同漁業部の取締役で、第二十一北洋丸の代表を務めています。
伊藤正吉が乗り越えた病気とは?
2014年に重い肝臓の病気で倒れた
2014年7月、伊藤さんは仕事中に体調を崩し、病院へ運ばれました。
肝臓に関わる重い病気で、札幌の病院で長期間の療養を余儀なくされたといいます。病名は本人インタビューと別の取材記事で表記が異なるため、この記事では一つの病名に断定しません。
療養は約1年半に及んだとする取材記事もあります。一時は漁師に戻れないことも考えたそうです。
また、家族が肝臓移植の可能性について説明を受けたことも明かされており、それほど深刻な状態だったことがうかがえます。
病気をきっかけに組織のあり方を変えた
倒れる前の伊藤さんは、自分一人で何でもでき、漁も回せると考えるワンマン型だったそうです。
船の上では若い乗組員を怒鳴るなど、厳しい接し方をしていた過去も本人が振り返っています。
しかし、自分が倒れたことで、一人に仕事が集中する組織では続けていけないと気づきました。
そこから若手に仕事を任せ、それぞれが複数の役割を担えるようにするなど、誰か一人が欠けても動ける体制へと変えていったのです。
過去の指導方法を正しかったとするのではなく、病気を機に考え方そのものを改めた。現在のチーム型の北洋丸は、この転機から生まれたものといえそうです。
伊藤正吉が第二十一北洋丸で続ける挑戦
若手中心のチームとSNS発信
第二十一北洋丸の乗組員は12人です。『情熱大陸』の公式サイトによると、その半数が30代以下となっています。
若手漁師たちは、「漁師あるある」の動画や漁のライブ配信などを通して、漁業の魅力を発信しています。
Instagram、YouTube、TikTokなどの公式SNSは、多くのフォロワーを抱えています。
総フォロワー数は資料によって9万人超、11万人超と異なりますが、集計時期や対象となるSNSの違いによるものとみられます。
公式Instagramでは、「北洋丸のお魚博士」と紹介されているカズさんと、さかなクンとのコラボも投稿されていました。
ブランド魚「知床桜鱗」を立ち上げた
伊藤さんたちは、斜里町で獲れた天然サクラマスのブランド「知床桜鱗(しれとこおうりん)」も立ち上げています。
知床桜鱗を名乗るには、次の6つの条件を満たす必要があります。
・斜里町で漁獲された天然のサクラマス
・船上で活締めを行う
・徹底した温度管理を行う
・胃洗浄を施す
・傷のない美しい魚体を漁師が見極める
・脂肪率8%以上で、魚体が2キロ以上ある
胃洗浄は聞き慣れない言葉ですが、専用の器具で魚の胃の内容物を取り除く処理です。輸送中の腐敗を抑え、鮮度を保つために行われます。
昆布養殖や海洋保全にも取り組む
鮭の不漁に直面するなか、2026年からは昆布養殖を本格化させました。
さらに、海岸清掃や藻場造成、ブルーカーボンなどの海洋環境保全にも取り組んでいます。
昆布を使った「知床昆布ミルクジェラート」の開発にも関わっています。
どの取り組みにも、斜里町の漁業と豊かな海を未来へつなぎたいという思いが込められているのでしょう。
まとめ
伊藤正吉さんは現在の婚姻状況を公表しておらず、妻がいるかどうかや、結婚相手の詳しい情報は確認できませんでした。
一方、本人の発言や取材記事から、少なくとも息子2人と娘がいることが確認できます。自分が進めなかった大学へ、子供たちは全員進学させたと本人が語っています。
学生時代は斜里中学校から東海大学第四高校へ進み、セッターとしてバレーボールの全国大会も経験しました。教員になる夢を持ちながらも、学費の事情で大学進学を断念し、18歳で漁師の道へ進んでいます。
2014年には重い肝臓の病気で倒れ、長い療養生活を送りました。この経験をきっかけに、一人で仕事を抱え込むワンマン型から、若手に仕事を任せるチーム型の組織へと変わっていきました。
現在は第二十一北洋丸を率い、ブランド魚「知床桜鱗」、若手によるSNSでの発信、昆布養殖、海洋保全などに取り組んでいます。
2026年10月4日放送の『情熱大陸』で、伊藤さんと第二十一北洋丸の仲間たちが記録的な不漁にどう向き合うのか、わたくしも見届けたいと思います。


コメント