2026年10月9日放送のテレビ朝日『徹子の部屋』に、ギタリストのMIYAVIさんが出演しました。
番組では、ギタリストとしての活動に加え、2017年から務めているUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)親善大使としての活動も紹介されました。2026年にはヨルダンを訪れ、現地の人々とギターや音楽を通じて交流しています。
ロックのステージに立つMIYAVIさんと難民支援は、すぐには結びつかないかもしれません。なぜ難民支援を始め、どのような経緯で親善大使になったのでしょうか。
この記事では、アンジェリーナ・ジョリーさんとの出会いから、現場での体験、2017年の就任、そして2026年のヨルダン訪問までを時系列で整理していきます。
MIYAVIはなぜUNHCR親善大使になった?
MIYAVIさんが難民問題に関心を持つようになった大きなきっかけは、アンジェリーナ・ジョリーさんとの出会いでした。
その後、実際に難民支援の現場を訪れ、音楽を通じて人とつながる経験を重ねていきます。
UNHCRは、こうした継続的な活動の実績と今後の貢献への期待から、MIYAVIさんを親善大使に任命したと説明しています。
きっかけはアンジェリーナ・ジョリーとの出会い
MIYAVIさんは、アンジェリーナ・ジョリーさんが監督を務めた映画『不屈の男 アンブロークン』に出演しています。
MIYAVIさんはUNHCRのインタビューで、ジョリーさんと出会う前は難民問題についてほとんど知らなかったという趣旨を語っています。
ジョリーさんとの交流を通じてUNHCRの存在や難民問題を知り、関心を持つようになったそうです。
ただし、映画に出演したことだけが親善大使就任の理由ではありません。
その後、MIYAVIさん自身が難民支援の現場へ足を運び、活動を続けていったことが就任につながっています。
難民支援への思いを「The Others」に込めた
MIYAVIさんは、難民問題への思いを込めた楽曲「The Others」を制作しました。
2015年には、この曲を携えてレバノンの難民支援現場を訪問しています。
さらに2016年には、アンジェリーナ・ジョリーさんとMIYAVIさんが共同で監督・制作した「The Others」のUNHCR版ミュージックビデオが公開されました。
映像には、レバノンをはじめ、世界各地の難民の人々が登場しています。
音楽は、MIYAVIさんにとって難民の人々と交流する手段であると同時に、その現状を世界へ伝える手段にもなっていきました。
MIYAVIの難民支援は2015年のレバノン訪問から本格化
初めて難民支援の現場を訪問
MIYAVIさんは2015年5月、UNHCRとともにレバノンの難民支援現場を訪れました。
本人の振り返りによると、訪問前はミュージシャンである自分に何ができるのか、不安を感じていたそうです。
しかし、現地で子どもたちの前でギターを演奏すると、その表情が変わっていく様子を目にしたといいます。
音楽を通じて人とつながる経験から、自分にもできることがあると感じたと本人は語っています。
「ロックスターになりたい」と話した少年との出会い
2015年のレバノン訪問では、MIYAVIさんのそばを最後まで離れなかった少年がいました。
後になって、その少年が「ロックスターになりたい」と話していたことを知ったそうです。
MIYAVIさんは、この出来事を親善大使を引き受ける気持ちが固まったきっかけとして、朝日新聞GLOBE+のインタビューで語っています。
自分と同じように音楽を夢見る少年との出会いが、MIYAVIさんの決意につながったのです。
MIYAVIは2017年に日本人初のUNHCR親善大使に就任
就任までにレバノンやタイを訪問
MIYAVIさんは、親善大使に就任する前から難民支援の活動を続けていました。
2015年と2016年にはレバノン、2017年にはタイの難民支援現場を訪問しています。
さらに2017年10月には、スイス・ジュネーブで行われたナンセン難民賞授賞式でパフォーマンスを披露しました。
UNHCRは、こうした活動実績と今後の貢献への期待から、MIYAVIさんを親善大使に任命したと説明しています。
2017年11月17日、UNHCRはMIYAVIさんを日本人初の親善大使に任命すると発表しました。
つまり、2017年は難民支援を始めた年ではなく、親善大使として正式に活動することになった年です。
「日本人初」とはどういう意味?
UNHCR日本の公式発表では、MIYAVIさんは「日本人初となるUNHCR親善大使」と紹介されています。
これは、UNHCRの親善大使として日本人で初めて任命されたという意味です。
国連全体の親善大使として日本人初、という意味ではありません。
なお、なぜ日本人として最初に選ばれたのかという比較選考の理由までは、今回確認した公式資料には示されていません。
MIYAVIとアンジェリーナ・ジョリーの関係は?
MIYAVIさんとアンジェリーナ・ジョリーさんは、映画『不屈の男 アンブロークン』で監督と出演者として出会いました。
当時UNHCR特使だったジョリーさんは、難民問題に長く関わっていました。
MIYAVIさんはジョリーさんとの交流を通じて、難民問題やUNHCRの存在を知るようになります。
その後、2人は「The Others」のUNHCR版ミュージックビデオを共同で監督・制作しました。
2018年には、UNHCR公式サイトで2人の対談も公開されています。
ただし、ジョリーさんがMIYAVIさんを親善大使に推薦した、あるいは任命したという情報は、今回確認した資料では見つかりませんでした。
ジョリーさんとの出会いは、MIYAVIさんが難民問題に関心を持つ大きなきっかけだったといえます。
MIYAVIは2026年にヨルダンの難民支援現場を訪問
アンマンで難民家族らと交流
2026年5月中旬、MIYAVIさんはUNHCR親善大使としてヨルダンを訪問しました。
首都アンマンでは、シリアから避難してきた家族を訪ね、暮らしの様子や直面している課題について話を聞いています。
また、音楽を通じて現地の人々との交流も行いました。
UNHCRの公式Instagramでも、MIYAVIさんがヨルダンで難民家族や若者、ミュージシャンと交流する様子が紹介されています。
ザータリ難民キャンプではギターやサッカーで交流
MIYAVIさんは、シリア難民などが暮らすザータリ難民キャンプも訪れています。
現地では、日本の支援で運営されているコミュニティセンターや医療施設などを視察しました。
さらに、子どもたちや若者たちとギター演奏やサッカーを通じて交流しています。
UNHCR日本が2026年6月20日に公開したMIYAVIさん本人のメッセージでも、現地で子どもたちと過ごした経験が語られています。
2026年10月9日放送の『徹子の部屋』でも、このヨルダン訪問が紹介されました。
2015年のレバノン訪問から10年以上たった今も、MIYAVIさんは音楽を通じた交流を続けています。
世界各地で難民支援に取り組むMIYAVIさんは、言葉を通して相手を理解することも大切にしています。
英語は25歳から本格的に学び、中国語も長年勉強してきました。
MIYAVIさんが何ヶ国語話せるのか、中国語を学んだきっかけや英語の勉強法については、こちらの記事で詳しく紹介しています。

MIYAVIはギタリストとしての経験を難民支援につなげている
MIYAVIさんの難民支援活動の特徴は、自分の専門である音楽を生かしていることです。
現地でギターを演奏するだけでなく、そこで見聞きしたことを日本や世界へ伝える役割も担っています。
わたくしが調べていて印象に残ったのは、MIYAVIさん自身が最初は「自分に何ができるのか」と迷っていた点です。
最初から答えを持っていたのではなく、現場で演奏し、人々と交流するなかで音楽にできることを実感していったのですね。
MIYAVIさんの国籍や生い立ち、父親・母親のルーツについては、別記事「MIYAVIの国籍は日本?ハーフなの?父親・母親や韓国ルーツを調査!」で詳しく紹介しています。

まとめ|MIYAVIがUNHCR親善大使になった背景には現地での出会いがあった
MIYAVIさんが難民問題を知るきっかけは、アンジェリーナ・ジョリーさんとの出会いでした。
2015年にレバノンの難民支援現場を訪れ、子どもたちの前でギターを演奏したことで、音楽を通じて自分にもできることがあると実感します。
その後もレバノンやタイなどの現場訪問を続け、2017年11月には日本人初のUNHCR親善大使に就任しました。
2026年にはヨルダンを訪れ、アンマンやザータリ難民キャンプで難民の人々と交流しています。
MIYAVIさんは、ギタリストとしての経験を生かしながら、難民支援とその現状を伝える活動を続けています。
妻のmelody.さんについては、シリーズ記事「MIYAVIの妻melody.の国籍はアメリカ?ハーフなの?両親や馴れ初めを調査!」で詳しく紹介しています。



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