「鮨の神様」と呼ばれる小野二郎さんは、2026年10月27日に101歳の誕生日を迎えました。
11月1日(日)放送予定の『情熱大陸』では、長男の小野禎一さんが取り上げられ、番組予告では父親の二郎さんも大きく紹介されています。
予告を見て「二郎さんは今もお店に立っているの?」「もう引退したのかな?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
この記事では、小野二郎さんの現在の様子や引退について、さらに妻や2人の息子のことまで、確認できた情報をもとにまとめていきます。
小野二郎は現在101歳!引退したの?
最初に結論からお伝えします。
小野二郎さんは、以前のように毎日カウンターで鮨を握っているわけではありません。ただし、正式に引退したという発表は、今回確認した範囲では見つかりませんでした。
2026年8月の小学館『サライ』では、特別な場合を除いて鮨を握ることはなくなったものの、今も現役の鮨職人として紹介されています。
また、2025年10月のAP通信の取材では、二郎さん本人が、あと5年ほど仕事を続けたいという希望を語っていました。
101歳になった現在も、鮨職人としての思いは変わっていないようです。
98歳までカウンターに立っていた!
小学館『サライ』が2026年8月13日に公開した記事によると、二郎さんは98歳まで「すきやばし次郎」のカウンターに立っていました。
98歳までお客さんの前で鮨を握っていたというのですから、その職人としての姿勢には驚かされます。
同じ記事では、現在は特別な場合を除いて鮨を握らなくなったことも紹介されています。
長年にわたって店の中心に立ち続けてきた二郎さんですが、現在は長男の禎一さんが銀座本店のつけ場を担っています。
なぜ寿司を握らなくなった?手の力が弱くなったため
2025年10月27日のAP通信の報道では、二郎さんは年齢とともに手の力が弱くなり、特別なお客さんに限って鮨を握っていると伝えられました。
以前のように毎日鮨を握ることが難しくなった理由の一つには、こうした身体的な変化があるようです。
ただし、これは2025年当時の情報です。2026年10月現在も同じ頻度で鮨を握っているかどうかは、確認できていません。
また、日常的に鮨を握らなくなったことと、鮨職人を引退したことは同じではありません。
銀座本店の日常的な握りは長男の禎一さんが担い、二郎さんも2025年の取材時点では、特別なお客さんのために鮨を握ることがあったと報じられています。
101歳でも仕事への情熱は変わらない!
2025年9月18日には、100歳を目前にした二郎さんのもとを、小池百合子東京都知事が訪問しました。
東京都の「100年活躍ナビ」では、そのときの様子が紹介されています。
二郎さんは、健康を保つうえで働くことが大切だと語り、仕事への強い思いを示していました。
また、好きな寿司ネタを聞かれると「マグロ」と即答。コハダやアナゴも好きだと明かしています。
さらに、100歳になって挑戦したいことについては、長生きへの意欲を語っていました。
2026年には、小学館から著書『すきやばし次郎 百歳「鮨がたり」』も刊行されています。
この本では、長年にわたって鮨と向き合ってきた二郎さんの仕事観や人生について語られています。
2025年10月のAP通信の取材でも、二郎さんはあと5年ほど働きたいという希望を示していました。
101歳になった今も、鮨を通じて人生を歩み続けようとする姿勢が印象的ですね。
小野二郎は何者?wiki風プロフィールや経歴
まずは、小野二郎さんの基本的なプロフィールを見てみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 小野二郎(おの じろう) |
| 生年月日 | 1925年10月27日 |
| 年齢 | 101歳(2026年10月27日現在) |
| 出身地 | 静岡県天竜市(現在の浜松市天竜区) |
| 職業 | 鮨職人 |
| 肩書 | すきやばし次郎創業者 |
| 長男 | 小野禎一 |
| 次男 | 小野隆士 |
二郎さんが料理の世界に入ったのは、わずか7歳のときでした。
1932年、地元の割烹旅館「福田屋」に奉公に出ています。
その後、1941年には横浜の軍需工場に徴用され、戦争も経験しました。
終戦後は再び料理の世界に戻り、浜松の日本料理店などで修業を重ねています。
1951年には東京・京橋の「与志乃」に入り、25歳で鮨職人としての道を歩み始めました。
そして1965年、銀座に「すきやばし次郎」を開店します。
小野二郎の主な経歴
| 年 | 経歴 |
|---|---|
| 1925年 | 静岡県に生まれる |
| 1932年 | 7歳で割烹旅館「福田屋」に奉公 |
| 1941年 | 横浜の軍需工場に徴用される |
| 1945年 | 終戦後、料理の修業を再開 |
| 1951年 | 京橋「与志乃」で鮨職人になる |
| 1965年 | 銀座に「すきやばし次郎」を開店 |
| 2005年 | 「現代の名工」に選ばれる |
| 2014年 | 黄綬褒章を受章 |
| 2019年 | ギネス世界記録に認定 |
| 2025年 | 100歳を迎える |
| 2026年 | 101歳を迎える |
2005年には、江戸前鮨の伝統を守りながら新しい工夫を重ねてきた技術が評価され、「現代の名工」に選ばれました。
2014年には黄綬褒章を受章。
2019年には、ミシュラン三つ星レストランの最高齢料理長として、ギネス世界記録に認定されています。
7歳で料理の世界に入り、戦争による中断なども経験しながら、90年以上にわたって料理と向き合ってきた二郎さん。
その長い人生が、現在の「鮨の神様」という評価につながっているのでしょう。
小野二郎はなぜ「鮨の神様」と呼ばれる?
世界的な名店「すきやばし次郎」を築いた
「すきやばし次郎」は、1965年に銀座で創業した鮨店です。
店内にはわずか10席のカウンターがあり、季節の鮨を中心とした「おまかせ」のスタイルで知られています。
一品料理やつまみを出さず、職人が選んだ鮨を順番に提供するのが特徴です。
二郎さんは、江戸前鮨の伝統的な技術を大切にしながら、仕込みや握りに独自の工夫を重ねてきました。
素材の状態や酢飯の温度にも細心の注意を払い、一貫一貫を仕上げていく。
こうした妥協のない仕事ぶりが、世界中の料理人や美食家から高く評価されてきたのです。
ミシュラン三つ星やオバマ元大統領の来店
「すきやばし次郎」は、2007年にミシュランガイド東京で三つ星を獲得しました。
その後も長年にわたって三つ星の評価を受けています。
ただし、2020年版以降はミシュランガイドの掲載対象から外れています。
一般の利用者が予約できる状況ではなくなったことが理由とされており、料理の評価が下がって三つ星を失ったというわけではありません。
2014年には、当時のアメリカ大統領だったバラク・オバマさんが、安倍晋三首相(当時)とともに来店したことでも話題になりました。
世界的な著名人にも愛される鮨店として、広く知られるようになったのですね。
映画『二郎は鮨の夢を見る』で世界的に有名に
二郎さんの名前を世界に広めたきっかけの一つが、ドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』です。
デヴィッド・ゲルブ監督によるこの作品では、二郎さんの仕事ぶりや職人としての考え方、息子たちとの関係が描かれています。
映画をきっかけに、小野二郎さんの仕事や職人としての哲学は、海外でも広く知られるようになりました。
「鮨の神様」と呼ばれるようになった背景には、こうした長年の技術の積み重ねと、世界的な評価があるのでしょう。
小野二郎の妻はどんな人?映画出演を断った理由は?
小野二郎さんの奥さんについても気になりますね。
2012年3月6日に公開されたFood GPSのインタビューでは、映画『二郎は鮨の夢を見る』のデヴィッド・ゲルブ監督が、二郎さんの奥さんについて語っています。
監督によると、奥さんは映画への出演を辞退したそうです。
監督は、その理由について、奥さんが恥ずかしがり屋だったためと説明しています。
また、監督自身も奥さんには直接会っていなかったことを明かしています。
息子2人は映画の中で取り上げられていますが、奥さんは表に出ることを選ばなかったのですね。
なお、今回確認した資料では、奥さんの名前や年齢、2026年現在の様子について詳しい情報は見つかりませんでした。
2012年当時のインタビューなので、現在の状況については断定できません。
小野二郎の息子は2人!現在はどちらが後継者?
小野二郎さんには2人の息子がいて、どちらも鮨職人として父親の技術を受け継いでいます。
長男・小野禎一は銀座本店を継承
銀座本店でつけ場を担っているのが、長男の小野禎一(おの よしかず)さんです。
1959年7月31日生まれで、2026年10月現在67歳。
11月1日放送予定の『情熱大陸』で密着されるのも、この禎一さんです。
高校時代はカーレーサーを目指していたという、少し意外な過去があります。
高校卒業後は赤坂の日本料理店で5年間修業し、24歳のときに父親の店へ入りました。
現在は、父親から受け継いだ技術を守りながら、銀座本店の鮨を握っています。
禎一さんの年齢や学歴、カーレーサーを目指していた過去については、別の記事で詳しくまとめています。

次男・小野隆士は六本木店の店主
次男の小野隆士さんは、「すきやばし次郎 六本木ヒルズ店」の店主です。
すきやばし次郎の公式サイトによると、2003年に独立し、六本木店を開店しました。
銀座本店では長男の禎一さんが父親の板場を受け継ぎ、次男の隆士さんは六本木店で鮨職人として活躍しています。
2人はそれぞれの場所で、父親から学んだ技術を受け継いでいるのですね。
小野二郎はなぜ息子・禎一の握った寿司を食べなかった?
『情熱大陸』の公式サイトには、かつて二郎さんが息子・禎一さんの握った鮨を食べることがなかったと紹介されています。
これを読んで、わたくしも「えっ、どうして?」と思いました。
同じ店で働く親子なのに、なぜ息子の鮨を口にしなかったのでしょうか。
二郎さんは、自分にも弟子にも厳しい職人として知られています。
禎一さんも、父親の厳しい指導を受けながら、長年にわたって鮨の技術を磨いてきました。
しかし、息子の鮨を食べなかった理由については、今回確認した資料では明らかになっていません。
「息子の腕を認めていなかった」「親子の仲が悪かった」と決めつけることはできません。
2026年11月1日放送予定の『情熱大陸』では、二郎さんが禎一さんの握った鮨を口にすることが予告されています。
父親は息子の鮨をどう受け止めるのでしょうか。
そして、これまで食べなかった理由や、親子それぞれの思いが明かされるのかにも注目したいですね。
まとめ
今回は、「鮨の神様」と呼ばれる小野二郎さんの現在や引退、妻や息子について紹介しました。
小野二郎さんは、2026年10月27日に101歳を迎えました。
98歳まで「すきやばし次郎」のカウンターに立ち、現在は特別な場合を除いて鮨を握ることは少なくなっています。
手の力が弱くなったことが理由の一つとして報じられていますが、正式な引退発表は確認できませんでした。
2025年の取材では、あと5年ほど仕事を続けたいという希望も語っています。
また、2人の息子は、長男の禎一さんが銀座本店、次男の隆士さんが六本木ヒルズ店で鮨職人として活躍しています。
奥さんについては、映画への出演を辞退したという監督の証言がありましたが、現在の様子については詳しい情報が見つかっていません。
そして、禎一さんの握った鮨を食べなかった理由についても、現時点では確認できていません。
7歳で料理の世界に入り、101歳になった今も鮨への思いを持ち続けている二郎さん。
その技術だけでなく、仕事に向き合う姿勢も息子たちに受け継がれているのかもしれません。
11月1日放送の『情熱大陸』では、そんな親子の姿がどのように描かれるのか楽しみですね。


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