「大学なんて、もうやってられない」
そう思った若者が、大学を辞めて、そのまま北極に行った―――。
…そんな噓みたいな人生を歩んできたのが、
冒険家の荻田泰永(おぎた やすなが)さん。
実は、彼がまもなく『クレイジージャーニー』に
出演予定ということで、いま再び注目があつまりつつあります。
でも、いちばん面白いのはその‟始まり”の部分。
大学を中退したときも、北極行を決めたときも、
両親は意外なほど静かに見守っていました。
常識では考えられないような進路に、
家族がどう向き合ったのか。
今回は、そんな‟人生の分かれ道”で起きた出来事をたどりながら、
荻田さんがどうやって「冒険家」という道を選んだのかを
ご紹介したいと思います。
大学中退。やりたいことが見つからなかった日々
〇神奈川工科大学時代
荻田泰永さんが通っていたのは、神奈川工科大学工学部。
特に冒険とは関係の無い、普通の理系の学生でした。
中学・高校までは「無難に生きてきた」と本人は語っており、
特別に何かに打ち込んでいたわけではなかったそう。
大学に入っても「なんとなく」「流れで」という感覚で
進学していた部分がありました。
〇「燃えるものがない」という違和感
荻田さんは、大学の授業を受けても、
「これが自分のやりたいことか?」
という疑問が消えませんでした。
3年間通ったものの、学業には熱中できず、
「面白くなかった」
「学校に通うのが無駄だなと思えて仕方がなかった」
「大学で自分のエネルギーを燃やせる居場所が見つからなかった」
引用元:【ぎりぎりトーク】北極冒険家・荻田泰永さんが登場!凍傷で足の指を無くしても北極を渡り歩いた話がヤバすぎました…
と感じていたようです。
だんだん大学に行かなくなり、成績も下がり、
さらに足が遠のいてしまうという悪循環。
サークルにも所属していなかったので、より居場所が
見出せない状況だったのかもしれません。
そのような状態で親に高額な学費を支払ってもらうのも
申し訳ないと思っていました。
ちなみに、神奈川工科大学工学部の学費は
年間約140万円ほどかかるようです。
理系の大学の学費は高額です。
この金額を考えると、大学に通っていない状態で、
大金を支払ってもらうことを躊躇した気持ちは分かります。
私なら、「とりあえず大学は出ておくか」という気持ちで
そのまま大学に居続けると思いますが、荻田さんは違いました。
自分の気持ちに誠実に向き合うことができる人であり、
自分を大事にするからこそ、大学中退という大きな決断が
できたのではないかと思いました。
冒険家になるために、退学?と思いましたが、
大学で熱中できることが見つからなかったということが
理由と分かり、意外でした。
人生を変えた‟あの番組”との出会い
〇大場満郎さんのテレビ出演(運命の出会い)
大学を退学し、たまたま実家で観ていたテレビ番組
「スタジオパークからこんにちは」で、
運命的な出会いがありました。
NHKのトーク番組に出演していた
冒険家・大場満郎(おおば みつろう)さんです。
大場さんの生き様に強く引き込まれ、
「なんかこの人、すげぇなぁ!」
と思ったそうです。
なぜ、大場さんに強く惹かれたのでしょうか?
「俺には何かできるんじゃないか?という自信がやたらから回っていた」
「実際に何もできていない現実、何をして良いか分からない
現状に怒りが湧いている状態だった」
引用元:【ぎりぎりトーク】北極冒険家・荻田泰永さんが登場!凍傷で足の指を無くしても北極を渡り歩いた話がヤバすぎました…
と話しています。
〇荻田さんの心に火がつく瞬間
大場さんの生き方や働いている内容を聞き、「この人はエネルギーを
120%ぶつけていて、自分が何をしたらよいか知っている」と感じ、
「エネルギーを燃焼し尽くして生きる」姿に共感したのです。
その番組の中で、大場さんは足の指10本と、手の指2本を
凍傷で切断し、歩くためのリハビリも過酷だったそう。
壮絶な内容にも触れており、
過酷な状況でも冒険家として生き抜く
強い姿にも惹かれたのかもしれません。
もし私なら、そのような過酷な環境に
身を置きたいとは思いません。
荻田さんの心の中に眠っていた、
冒険家のように刺激的で情熱的に生きたいという
意識が呼び覚まされた瞬間だったのですね。
〇「来年、素人を北極に連れていく」という言葉
番組の最後、大場さんが「来年は素人の大学生ぐらいの人たちを
連れて、北極で一緒にソリを引いて何百kmか歩く予定だ」という
ことを知りました。
その後大場さんに手紙を書いて、
参加することになりました。
「北極に行きたい」という思いよりも、
大場さんの生き方に惹かれ、「北極に出会った」というのが
北極冒険家をになるきっかけだったようです。
こうして21歳でゼロからの挑戦へと
踏み出す勇気を持ったのでした。
これまで
- アウトドア経験はなし
- 特に冒険家にあこがれを持っていたということもなかった
いうことには驚きです。
まさに人生のターニングポイントですね。
よく、ゼロの状態で参加しようと思ったなと
驚かされました(;^_^A
北極行を決意ーーー親の意外な反応
アウトドア経験が一切ない、大学を中退した
息子から、いきなり「北極へ行きたい‼」
と相談されたら、あなたならどうしますか?
私なら、迷わず「は?やめておけ!」
と言うでしょう。
では、荻田さんのご両親は
どのような反応だったのでしょうか?
荻田さんの著作やインタビューから調べると、
大学を中退するときも、
初めて荻田さんが北極行をきめたときも、
ご両親は反対しなかったようです‼
その家庭的な背景としては、
〇もともと愛情深い家庭だった
「愛されて育った」
「戻る場所があるという安心感があった」
と語っています。
ご両親は子供の自主性を尊重してくれるタイプだったようです。
〇「本人が本気なら応援する」スタンス
荻田さんは退学の相談の際、かなり真剣に
自分の気持ちを伝えたそうです。
それに対してご両親は「そこまで考えているなら、
退学してもいいのでは?」と背中を押してくれた
とのこと。
初めて北極へ行くことを決めたと伝えたとき、
ご両親はかなり驚いたそうです。
「やるなら全力でやりなさい」「でも無理はするな」
という応援の言葉をかけてくれたとのこと。
親の立場で考えると、「大学まで行かせたのだから、
せめて卒業くらいは」と言ってしまいそうですが、
本人の意思を尊重した姿が立派だと思います。
また、大事な息子がいきなり「北極へ行きたい」
と言い出したときの、ご両親の驚きは想像し難い
ものがあります。
特に、荻田さんは3兄弟の末っ子。
特にかわいがられて育ったのではないでしょうか。
もう一度言いますが、私には、まずできません!
過酷な環境の地へ送り出すと決めた覚悟と息子を
信じたご両親の強さを感じました。
まとめ
北極圏各地をおよそ10,000km以上も踏破し、
2017年に植村直己賞も受賞されている荻田泰永さん。
彼が大学を中退した理由は、「大学で自分のエネルギーを
燃やせる居場所が見つからなかった」ということで、冒険家
を目指してのことではなかった。
その後に運命的な出会いにより、北極を目指すことになった
ということが分かりました。
自分の気持ちに素直に従い、大学を中退したからこそ、運命の
出会いがあったのだと思うと、まさに人生の分岐点。
過酷な環境下でも、自分が熱中できるものに出会い、
日本唯一の北極冒険家として活躍している背景には、
ご両親の深い愛があったことも分かりました。
TBSの『クレイジージャーニー』では、
どんな冒険の様子が見られるのでしょうか。
荻田泰永さんのご活躍を楽しみにするとともに、
冒険へ行かれる際には無事に戻ってきてください!
と祈るばかりです。
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