2026年10月22日放送のテレビ東京系『ナゼそこ?』で、愛知県名古屋市の焼肉店「炭焼とんちゃん 和」を営む川邉和子(かわべ・かずこ)さんが紹介されました。
和子さんは83歳。背骨を2か所骨折しているにもかかわらず、朝から深夜まで働き続ける姿に、スタジオからも驚きの声が上がりました。
なぜ、そこまでして働き続けるのでしょうか。
番組では、幼いころから家族を支えてきた生い立ちや、52年間続けてきた焼肉店への思い、常連客との温かな交流が紹介されました。
この記事では、和子さんが働き続ける理由と、その波乱の人生を振り返ります。
和子さんはなぜ83歳でも焼肉店で働き続ける?
背骨を2か所骨折しても店に立つ和子さん
和子さんは、名古屋市守山区にある焼肉店「炭焼とんちゃん 和」を長年営んできました。
番組では、1日約18時間働く生活が紹介されました。
取材当日は午前5時ごろから仕事を始め、仕込み、買い出し、調理、接客、閉店後の片付けまでこなし、仕事を終えたのは翌午前0時30分ごろでした。
自宅までは車で約30分かかるため、普段は店に寝泊まりしているそうです。
驚くことに、和子さんは取材の2日前に背骨を2か所疲労骨折していました。
さらに、約1か月前には結石を取り除く手術も受けていたそうです。
それでも通常どおり営業を続けていた和子さん。
午後7時ごろ、ようやく椅子に腰掛け、痛そうにしている場面がありました。
心配した常連客から、骨折しているのにそんなに動けるのかと尋ねられると、和子さんはこう答えました。
「動いとらなしょうがない。私、目が開いているうちは仕事」
仕事に対する強い思いが伝わる言葉でした。
ただし、骨折した状態で働くことには健康上の危険もあります。番組で紹介されたのは、あくまで取材時点の和子さんの姿です。
お客さんへの感謝が働く原動力に
和子さんが働き続ける理由には、長年支えてくれたお客さんへの感謝がありました。
番組では、和子さんが周囲の人たちのおかげで店を営業できているという思いを語っていました。
常連客が自宅で収穫した野菜を差し入れたり、店の仕事を手伝ったりする一方、和子さんもお客さん一人ひとりの好みに合わせて料理を用意しています。
そして、最後のお客さんが帰ったあとには、誰もいない店内に向かって深々と頭を下げていました。
「今日も終わりました。ありがとうございました」
「みなさまのおかげです」
和子さんによると、これは毎日続けている習慣なのだそうです。
さらに、自分自身の体に対しても感謝の言葉を伝えていました。
「この体にお世話になりました」
お客さんだけでなく、自分の体にまで感謝する姿が印象的でした。
和子さんの生い立ちが波乱!8歳から母親を介護
母親が手術後に寝たきりになった
和子さんは1943年、愛知県春日井市で生まれ育ちました。
幼少期は戦後の物資が不足する時代で、食べ物にも苦労したそうです。
小学校の入学式では、素足にもんぺ姿だったという和子さん。
それでも、母親が手作りしてくれた服の思い出を大切にしていました。
ところが、和子さんが8歳のとき、家族に大きな出来事が起こります。
母親が病気で脾臓を摘出する手術を受け、その際の輸血後に体調が悪化したというのです。
番組では、血液型の異なる血液を輸血すると命に関わることもあると説明されていました。
ただし、実際にどのようなことが起きたのか、詳しい経緯は分かっていません。
母親は一命を取り留めたものの、その後は寝たきりになったといいます。
友達と遊ばず家事と介護を続けた小学生時代
当時、小学2年生だった和子さんは、おばあさんと一緒に母親の世話をするようになりました。
学校が終わると、自転車で勝川まで買い物に出かけ、母親に栄養のあるものを食べてもらおうと、毎日の食事を用意していました。
買い物には約1時間かかり、帰宅後には料理や掃除、洗濯などの家事も行っていたそうです。
さらに、家業の米作りにも関わっていました。
友達と遊ぶ時間もなく、家族のために働く毎日。
その生活は、和子さんが16歳になるまで続きました。
今の和子さんが料理を手際よくこなす姿を見ると、幼いころから積み重ねてきた経験の長さを感じます。
16歳で母親、27歳で父親を亡くす
懸命に世話を続けてきた母親でしたが、和子さんが16歳のときに亡くなりました。
さらに、27歳のときには父親の義雄さんも事故で亡くなっています。
番組での和子さんの説明によると、父親は作業中にワイヤーが切れ、落下した鉄骨が頭に当たる事故に遭ったそうです。
和子さんは、父親もよく働く正直な人だったと振り返っていました。
幼いころから家族を支え、若くして両親との別れを経験した和子さん。
その後も、家族の生活を守るために働き続ける人生を歩んでいきます。
和子さんの夫や子供は?結婚後は8人家族に
和子さんは25歳のとき、知人の紹介で知り合った男性と結婚しました。
夫は同じ名古屋育ちの男性だったそうです。
結婚後は名古屋市名東区に家を購入し、夫の家族と同居することになりました。
当初は6人家族でしたが、その後、和子さんは2人の子どもに恵まれ、8人家族になりました。
当時、和子さんは専業主婦で、家計を支える収入は夫の給料だけ。
大家族の生活を支えるには経済的に厳しく、将来への不安を感じるようになったそうです。
そこで和子さんは、自分も働いて家族を養おうと考えるようになりました。
なお、番組では結婚や子育てについて紹介されましたが、夫や子どもたちの現在の詳しい生活については確認できていません。
和子さんが32歳で焼肉店を開業した理由とは?
家族を養うため100万円を元手に開業
和子さんが焼肉店を始めたのは32歳のころでした。
開業のきっかけの一つとなったのは、亡くなった父親が生前に話していた言葉でした。
現在のお店がある場所は、もともと田んぼだったそうです。
近くにパチンコ店があり、父親は以前、パチンコ店のそばに焼肉店があればよいと話していたといいます。
その言葉も後押しとなり、和子さんは飲食店の開業を決意しました。
開業資金は、なけなしの100万円。
小学生のころから培ってきた料理の経験を生かし、家族の生活を支えるために新たな一歩を踏み出したのです。
番組では、和子さんが52年間にわたって店を続けてきたと紹介されています。
最初のメニューはとんちゃん焼きとキムチだけ
開業当初は、現在のような豊富なメニューはありませんでした。
提供していたのは、とんちゃん焼きとキムチの2品だけ。
名物のとんちゃん焼きには、豚の小腸を使用しています。
丁寧に手洗いして下処理し、素早くカットすることで断面がつぶれるのを防ぐというこだわりがあります。
さらに、ショウガを加えた秘伝のみそダレで味付け。
番組では、脂のうまみを引き立てながらも、あっさり食べられる味として紹介されました。
2024年9月のテレビ愛知系取材によると、和子さんは名古屋の老舗「美奈登」の店主から味噌ダレのレシピを教わり、自分流にアレンジしたそうです。
長年愛されてきた味には、こうした工夫が積み重ねられていたんですね。
和子さんの焼肉店が52年間愛される秘密は?
料理へのこだわりと常連客への気遣い
和子さんのお店には、長年通い続ける常連客がいます。
番組では、4歳のころから通っているという増沢さんも登場しました。
常連客は、和子さんに遠慮なく話しかけ、和子さんも気さくに応じます。
お客さんが「ただいま」と声をかけると、和子さんが「おかえり」と返す場面もありました。
また、注文していない料理を、常連客の好みに合わせて提供することもあります。
トマトと卵の炒め物やナスの漬物、こんにゃくなど、肉以外のおかずも用意していました。
ご飯を炊く際には炭と寒天を入れる工夫も。
番組では、寒天がお米の表面をコーティングし、もちもちした食感につながると紹介されました。
こうした細やかな工夫も、常連客に愛される理由の一つなのかもしれません。
お客さんも店を手伝う温かな関係
このお店では、お客さんが店の仕事を手伝うことも珍しくありません。
開店時間になると、和子さんに頼まれた常連客がのれんを出していました。
店が忙しくなると、料理を運ぶなど、自然に手伝うお客さんもいるそうです。
さらに、和子さんの体を気遣い、自宅で採れた野菜を差し入れたり、洋服をプレゼントしたりする人もいました。
和子さんがお客さんを大切にし、お客さんも和子さんを気遣う。
長年かけて築かれた関係が、このお店の大きな魅力なのだと感じました。
物価高騰で経営が厳しくても店を続ける
一方、近年は物価高騰の影響もあり、経営は厳しい状況にあるそうです。
番組では、材料費などを考えると、十分な売上を確保するのが難しいと和子さんが語っていました。
それでも、和子さんはお客さんへの感謝を忘れません。
仕事を終えたあとには、誰もいない店内に向かって一日の感謝を伝えます。
「この体にお世話になりました」
背骨を骨折しながら働いた一日の終わりに、自分の体にまで感謝する姿が、とても印象的でした。
まとめ:和子さんが83歳でも働き続ける理由
2026年10月22日放送の『ナゼそこ?』で紹介された、83歳の焼肉店主・川邉和子さん。
8歳から母親の介護と家事を担い、16歳で母親、27歳で父親を亡くしました。
25歳で結婚し、2人の子どもに恵まれた後は、大家族の生活を支えるため、32歳のころに焼肉店を開業。
それから長年、料理を作り続けてきました。
現在は体の痛みや厳しい経営状況を抱えながらも、お客さんとのつながりを大切にして店を続けています。
番組を見ていて特に心に残ったのは、閉店後、誰もいない店内に向かって感謝の言葉を伝える姿でした。
83歳になっても働き続ける和子さんの原動力には、長年支えてくれた人たちへの感謝があるのだと感じました。
これからも体を大切にしながら、常連客との温かな時間を過ごしてほしいですね。


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